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MONO-LOGUE 雑感 2017年3月21日 12:00

 

愛しい人が夕暮れ時に幸せでありますように
2017年大阪アジアン映画祭 雑記

文/河西隆之

「Happy be, my love, at sundown(夕暮れ時に愛しい人が幸せでありますように)」

夕暮れ時に愛しい人の幸せを願う楽曲「Love at Sundown」の歌詞の一節を引用した。この曲はタイの亡きプミポン・アドゥニャード前国王が1946年に作曲し、現在もなおタイの人々に親しまれているという。平穏な一日の終わり、太陽が沈む美しい浜辺で愛しい人を思い、彼/彼女の幸せを願う佳曲だ。

3月9日(金)に大阪アジアン映画祭入りし、最初に見た作品がタイのGDH 559製作『ギフト』だった。プミポン前国王が作曲した3作品をモチーフに、世代の違う4人の監督が制作した3話のオムニバス映画で、1話目は前述した「Love at Sundown」から着想を得ている。 1話目は、大使館主催のパーティのリハーサルでスタンドインとして大使夫妻を演じることになった男女が織り成すラブ・ストーリーだ。大使役の男性に言い寄られつつも、過去の恋愛との決別に躊躇する女性が、次へのステップを進むために「Love at Sundown」を歌いながらある行動を起こすのだが、その際、彼女の顔に現れる、途惑いと決意の表情がなんともいえず可愛らしい。


『ギフト』で披露された現代風にアカペラ・アレンジされた「Love at Sundown」。ボディー・パーカッションも見事。

1本目の1話目ということもあるのだろう。大阪滞在中、気がつけば「Love at Sundown」を口ずさんでいた。そのせいだろうか、映画祭で印象に残った作品を振り返ると、この楽曲がひとつの象徴であったように思う。

夕暮れ時、その日に起こった事を振り返り、平穏な終わりに安堵し、恋人の幸せを祈る。なんと素敵な時間だろう。人生にも夕暮れ時は訪れる。それは年齢には関係ない。若かろうが、老いていようが、過去に起こった物事に対し、向き合う心の準備が整い、真実を見定める時間が、人生の夕暮れ時と言えるのではないだろうか。

『77回、彼氏をゆるす』(香港)は、10年にもわたる恋人関係を解消した男女の話だ。女は別れることになった77個の理由を日記に記しており、男がそれを読み進める形で物語は進む。2人が新たな一歩を踏むために、男は自分の知らなかった過去の一面を辿ることになる。彼女が許せなかった真実と向き合うために。

過去と向き合う必要があるのは恋愛ばかりだけではない。『暗くなるまで』(タイ=オランダ=フランス=カタール)は、1976年に起きたタンマサート大学虐殺事件を題材にしている。アノーチャ・スウィチャーゴーンボーン監督は上映後のQ&Aで「この映画では歴史を語りたいわけではない。ドキュメンタリー映画ではないんです。ですけれども、起こったことに対する記憶に対して、どうやって真実に迫れるだろうかと思いました」と明かしている。



『姉妹関係』(マカオ=香港)と『七月と安生』(香港=中国)は特に印象深かった。まとめて語るのは憚られるが、ともに女性同士の愛のもつれ(ゆがみというべきか)を描いた作品だ。お互いを思いやるがゆえにこそ、2人が別れざるをえなかった理由を紐解いていく。

本筋からズレてしまうが、今回の映画祭の作品では、いわゆるレズビアンを扱った作品が多かったように思う。これまで、ゲイやトランスジェンダーを扱った作品は多かったが、それらは鳴りを潜め(というよりも、当たり前のように存在しているというべきか)、登場時間の長短は様々だが、女性同士の情愛が発する僅かな振動を捉えた良作が多かった。それだけ、アジア諸国では一般化してきてるのではないかと思う。

誰もが皆、同じ日が戻ってこないことを知りつつ、どうしようもなく間違った選択をしてしまう。自己犠牲のようでいて、相手には自分勝手と取られてしまうことも。誰もが愛しい人を思い、良かれと決断を下す。しかし、その決断は正しかったのだろうか。それは夕暮れ時が訪れるまで分からない。だからこそ、ここで紹介した作品は訴えたかったのではないだろうか。決断後、どんなに苦しい日々を過ごしたとしても......。

「Happy be, my love, at sundown」

せめて、夕暮れ時には、愛しい人が幸せであるように、と。

人生の夕暮れ時を迎えたものには明日が訪れる。新しい一日(人生)が始まるのだ。過去を咀嚼し、次の一歩を歩む勇気を与えてくれるもの。それが映画の力であることをあらためて噛み締めた映画祭であった。